今日は我々の対応に対して手厳しい批判をお持ちの方にご意見をいただく日。
ついつい、「行っている個々の医療サービス内容の改善へむけての話」に終始しがちな設定である。そして、ついつい進んでいくのは、「高齢者医療という正解のない作業を行っていることを、患者側が飲み込むことができるかどうかだ。」という方向性だ。
しかし、その前に医療者自身の心の中に必要な大切なことがあると思う。
医療の大前提に「不完全な知識で、正解のない作業に、資源不足の体制で臨んでいる。」という事実がある。
まず大切なのは、それをそのまま、不完全な知識だからと逃げることもなく、正解がないからと逃げることもなく、資源がないからとやめてしまうことなく、医療者自身がしっかりとどこまでも対峙する覚悟をもつことである。
もちろん、この大前提を飲み込めない患者から医療者は強い批判をうける可能性がある。そして、医療者が彼らを理解のない患者だと切って捨てることは簡単である。しかし、命に関して、この現実を患者側が飲み込むのも、これもまた苦しい作業であることを理解しなければいけない。
大前提を飲み込めない患者に代わって、彼らからの厳しい批判にさらされながら、医療者がこの不十分さを、患者に対しての理解を押し付けることなく、自身への批判のまま飲み込み続けることも、医師の、「患者の苦しみを軽減する援助者」としての重要な役割なのかもしれない。批判のみを残し去っていく患者もいるが、それも医療者の役割の一つなのかもしれない。
むしろ、プロの医療者にとってはこの苦しみを、明日へのモチベーションへと変換できることが必須事項かもしれない。
たとえ技術が優れていて、知識が優れていても、この心構えがなければ、医療者、特に医「師」(士ではなく師)として進んでいくのはつらくなってしまうと思う。