2013年10月23日水曜日

理想の在宅医

理想の在宅医とはどんな存在なのでしょうか?
とある講演会の場でみなさんの声を集めました。

ーーーーーーー
・話を聞くよ、という姿勢を感じさせてくださる医者と知り合えるとほっとします。

・家族を含めてのケアをしてほしい。

・患者様(ご家族様)の思いを第一に考えられること。

・出来るだけ時間をとって頂き、利用者様と会話してほしいと思います。利用者様にとってお医者さんを近くに感じられる事は安心で幸せなことと思うのですが…

・医療からのケアマネばかりではないので病気についての説明(進行状態など)をやさしくしてほしい。

・聞きやすい雰囲気、対応をしてくださる。

・訪問時の状態の報告いただける。

・患者側とのコミュニケーションと最後に良かったと思える医療。先生のお話にあったケアの連鎖は納得のいくお話でした。


・ありがとうございました。87歳と83歳の両親の介護中です。病院の先生は敷居が高く、ケアマネさんとの連携はほとんどありません。日々、不安を抱えているようです。精神的な不安を解消してもらえると嬉しいとおもいました。目からうろこです!

・患者様の気持ちとご家族様の気持ちを理解していただき、一緒になって最期の時を迎えられたらと思います。意外と先生と話すのが大変なことが多いので…

・こんな在宅医になってほしい。「命」そのものを大切にしたいという思いを在宅チーム(家族含めて)リーダー的に示していってくれる在宅医がいてほしい。大変な時に、「命」の大切さに気付かせてくれて一緒に頑張れると思います。

・理想の在宅医とは、患者さん宅訪問時、最低15分は居てほしい。ご本人、ご家族、ヘルパー、家の雰囲気等感じるのに5分や10分ではわからないと思います。風のように来て風のように帰る訪問医は落第!!

・患者様の気持ちを大切にし、寄り添う。

・先生のお役に立つ情報はないのですが、母の介護のことなどで勉強になりました。なかなか在宅医で…というのはハードルが高くてと思っていましたがこのようなシステムでしたら安心感がありますね。

・ご本人、ご家族の希望また思いを聞いてほしい。わかるような説明をしてほしい。

・身近な医師で何でも話せる、また個々の思いが通じるような対応できる在宅医療を希望します。穏やかな生活で安心できることを望んでいると思います。

ーーーーーーー

2013年7月25日木曜日

患者に支援者として認められる瞬間は突然にやってくる

僕たちはどのような時に患者さんの支えになることができるのでしょうか?

ーーーーーー
患者さんの理解者として存在できるようになる特別な一日というのが存在する。それは、いつもと違う空気が漂っている。今までにはない心のうちが吐露され、新しい支援関係、理解関係が生まれる瞬間がある。それを見逃してはならない。(医師 新城拓也) 
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1296446/1314063/89675165 から要約。
ーーーーーー

深く、深くうなずけます。本当に、これが訪れるのは瞬間です。これは、たとえば、自分が主治医であるからという長い付き合いがあるからこそ生まれるなどというものではありません。理解者ではなく医療技術者としての付き合いが長くなれば、かえってこの瞬間の訪れが難しくなるでしょう。そうなれば、自分ではない人間との新たな出会いのほうがよほど、この瞬間が訪れやすくなります。

目の前の患者さんのスピリチュアルな痛みに相対するときには、どんなに多忙であったとしても、自分の心を敏感にして、この瞬間の訪れを見逃さないように対峙する必要があります。この瞬間をうっかり無視すればそれは二度と訪れません。そして、本当の意味で「支援すること」は非常に難しくなります。

この特別な瞬間を見逃さずに数多く実感したことのある人間と、実感したことの少ない人間との間には支援者としてとても大きな力の隔たりがあります。
患者さんとの間に生まれる、この特別な瞬間を見逃さないように心を敏感にして
おかなければいけない。さもなければ、知らない間に患者さんのスピリチュアルな痛みを和らげるチャンスを踏み潰しながら歩いているのかもしれないのです。

患者の苦しみを他人の医療者が本当の意味で理解することはできない

僕たちが患者さんにとって役に立つことは可能でしょうか?

医療スキルは当然のことだと思います。
しかし、それと同等、いやそれ以上に、患者さんにとって大切なのは、僕たちがよき理解者であり、僕たちが患者さんから最後まで逃げない存在で居続けることなのではないでしょうか?

「他人の僕たちが、患者さんのことを本当の意味で理解することは到底難しい。患者さんの失われた時間を、僕たちは多分生きることができる。そんな関係の中で、患者さんの気持ちをわかったつもりになっても全くそれは一方的な思い上がりだろう。だがしかし、患者さんが、僕たちのことを理解者であると感じてもらうことは可能かもしれない。」(医師:小澤竹敏)

患者さん自身が本能的に感じる理解者としての人間が、一人でも増えれば、それがスピリテュアルな痛みを和らげることにつながります。

在宅医療をきっかけとして、患者さん達に出会う僕たちも、その一人の候補に入らなければいけません。そして、そのためには、自分自身の五感と心を研ぎすまさなければいけません。そして、どこまでも、逃げずに寄り添い続ける姿勢がなければいけません。もちろんこれは困難であり、どこまでいっても不十分な作業となるかもしれません。しかし、患者さんに関わるすべてのひとりひとりが、ここを目指し続けなければいけません。

2013年7月11日木曜日

食支援

在宅医療には食支援という重要な分野があります。

在宅医療において食事の問題は避けて通れない問題です。しかし、食支援ということに関して医師はどれぐらいの造詣があるのでしょうか?

食支援を段階で考えてみました。
食材からはじまり、栄養の内容、本人の嗜好や習慣の問題、メニューとそこに至る調理方法、料理の嚥下しやすさへむけての加工、歯や口腔機能の問題、嚥下機能・消化機能・認識機能の疾病や老化による問題。
このような順序で考えることができると思います。

医師にとって価値提供できるのは、実は、最後の段階で精一杯ではないでしょうか。しかして、その最後の段階で、患者のQOLは向上するのでしょうか。むしろ、前半の段階にQOLに寄与できる価値が存在するのではないでしょうか?さらに、医師はその最後の段階でのリスクを見いだし禁止するという行動になりがちです。そこにおける医師の価値は限定的であり、しかも制限的な要素が目立つ存在となります。

しかし、医師に期待されるのは、リスクを知り避けるだけではなく「どのリスクを取るのか?」を積極的に考えていくべきで、その危険性を最小化するために必要な介入を考えていかなければいけません。患者や介護者とじっくり相談して、どのリスクをどのような方法で取るのか。そして、そのリスクが生じたときに行うことも決める。これで、はじめて「食支援」といえると思います。

2013年6月27日木曜日

医療の発達と死を支える医師

医学の進歩には著しいものがあります。
本日、iPS細胞の臨床承認がおりたようですね。

医療はどんどん進化し、研究開発により生まれたさまざまな技術が使われ、手術はロボットに、診断や管理はコンピューターで行うことが主流になっていくでしょう。では、医師の仕事はそれらにとって変わられてしまうのでしょうか?

残念ながら人間は生き物です。
どれだけ医学が発達しようとも必ず死ぬ瞬間が訪れます。
解決できない死という問題を抱えている人間を、解決できないまま見守る人が必要です。それこそが、どこまで医療が発達したとしても、医師という人間に最期まで残されることになる仕事ではないでしょうか?

僕たちは、そこを医療の原点と定めています。
死を遠ざけるだけではなく、解決できない死という問題をもつ人間を支えることこそが、僕たち医師の使命だと思います。

どれだけ医療が発達したとしても、人を産むのが人であるように、死に面した人を支える存在は、同じく死ぬ存在である人間であってほしいと思います。