2012年1月4日水曜日

日本の財政と高齢者産業、そして、医療経営。

今の日本の財政は増税や国債発行や低金利などの生命維持装置では回復しないといわれる。延長上に未来はないというのである。デフレギャップ下において、280兆円とも言われる対外資産と1000兆円と言われる国内資産をどのように回しさらなる価値を生むのかが重要であることは確からしい。では、どうすればよいのか?

解決策の定石としては、この多くの資産を流動化させ、既存事業の淘汰・再編・新陳代謝を早める必要があり、さらに新たな雇用を生み出すことが必要だといわれる。しかし、流動化が必要な資産をもつ(受け取り予定年金含む)人々とは、個人レベルにおいては年金をこれから受け取る世代の高齢者であり、組織レベルでは既存の成功し成熟した組織や産業となる。しかも、彼らにとって、魅力的なサービスや市場が大挙して供給される気配はない。財布のひもは固いままである。無理に開かせようとしたところで、これらの古い力が強く成熟している先進国では、政策的にも手を出すのはかなり困難であることは予想される。投票をする人間の多くが資産を持っていることを考えると、このような思考をもつ人材が政治家になることはほぼ不可能なのかもしれない。

ただ、このような状況下の中、高齢化により医療・介護に関しては、否応なく需要が増える産業となるという点で、また、供給過剰ではない点で最後の望みではあるのかもしれない。医療・介護を含む高齢者周辺の産業を淘汰・再編・新陳代謝を行い、多くの支出を高齢者が喜んで行うような質の高いサービスを可能な限り早いスピードで実現させることに、一抹の望みを託すことができるのかもしれない。

どうすればこのような動きが促進できるだろうか?この問いに対しては、残りの人生を憂いなくすごせるための、本当の意味での高齢者本位のビジネスプラットフォームを作ることで、いい事業と悪い事業を、経営の良し悪しも含めて厳しくスピード感をもって淘汰しつつ、いいもののみを結合し、さらに新規事業を生み出していくこのとのできる環境づくりを目指すことが、その方法として頭の中に浮かび上がってきた。医療者ももちろんその厳しい淘汰の環境で切磋琢磨しなければならない。

ならば、医療機関といえども安穏とした経営を行っている場合ではないと考えよう。逆に、安穏とした環境を維持しようと変革を行うことを厭えば、この一抹の望みすらも失ってしまうことになるのかもしれない。

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