2012年1月6日金曜日

Learn の前に Un-learn 。

在宅医療において多職種連携を行おうとすると、非常に多くのコミュニケーションを必要とする。しかし、そのコミュニケーションがすべて円滑にいっているとは言い難い。前提の共有がまずなされていないなどというお粗末なものも非常に多いが、もっと重要なことは同じものを見ていても、視座が違うために全く違う景色にみえていることを認識していないことである。これは、自戒も込めて真実である。

非常に幼い間は、自分の見ている風景と同じものが相手にも見えているという認識であるが、2歳ごろになるとそれが違うことを認識しはじめるという。もし、視座が違えば違って見えるということを認識していないならば、ある意味2歳未満ということだろうか。

視座が異なれば違う風景を見ることができる。それを視野という。
その中で今注目しているものがある。それを視点という。
そして、その視野の中で今見ているものを認識すること、すなわち、視点/視野から、意味合いを導き出すのが思考の構造だともいわれる。
とするならば、同じ視点に注目していても、全く異なる意味合いを持ってしまうこととなる。

他職種の視座が異なることを認識し、その視座に立ってみる。そして、そこから見えるものを学び取り、その意味を理解するように努めよう。視座がたとえ、我々とは全く異質なものであったとしても、そこから見える景色の理解に努めてみよう。ひとつの視座に固まってしまえば、世界は立体的ではなく平面的なものにしか見えない。そうなると自分以外の視座に立つすべての人々に対して価値を提供するなんて無理だろう。自分の視座から見える景色の裏側で世界が崩れていっていることにも気づかないだろう。

時には自分の視座から見える風景を磨き上げることをすてて、他の視座へ移動することが必要だと思う。そして、移動した先の視座で、同じものを全く違う意味合いをもって学びなおすことが、世界が立体的であることを理解するには不可欠だと思う。この視座の移動は今まで学んだ世界を捨てるという意味合いで Learn とは違う Un-learn の作業ともいえる。この作業を楽しめる学びほぐしの空間プロデュースのプロジェクトを数名の有志で昨日の夜から開始した。

もしかすると、他職種連携が必要で、かつ専門性が高い領域を扱う医療においては、他の視座を理解するということだけでは不十分で、二つの分野のスペシャリティーをもつことを目指さなければいけないのかもしれない。こう考えると思いつく高名な地域医療の猛者は医療以外の分野にも造詣が深いことが多いのもうなづける。

一時期もてはやされた一つの専門性とコミュニケーション能力で広がるT型の先に、世界の立体感を高いレベルで腹落ちさせることのできるΠ型の能力を持つことが、生活の中で医療をどのように組み込んでいくのかを扱う、かかりつけ医療・在宅医療・家庭医療などにおいては必要不可欠な能力なのだろう。医学的な意味合いの追求が的外れになっていることに気付かないことは、生活医療のなかでは間違いなく罪である。

最近、3歳のわが子が何度も何度も「こっち見て!こっち来て!!」と話しかけてくる。

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